お薦め動画集
私が最も好きなギタリストのパコ・デ・ルシア氏によるコロンビアーナスです。
もし、本場での修行中に氏の存在を知らなかったら、私はギタリストにならなかったと思います。
パコさんを追い続けることが、いつしか私のギタリスト人生になってしまったといっても過言ではないと思います。
パコさんの名曲はたくさんあるのですが、やはり、このコロンビアーナスは傑作だと思います。
弾いても聴いても、いまだにゾクゾクしてしまいます。
ぜひ、ご清聴ください。
ここでお知らせがあります。
長らく続けてきた『お薦め動画集』は、今回を以って最終回になります。
まだまだ紹介したい動画がたくさんありますが、ここで一区切りとさせていただきます。
ご理解・ご了承のほど、お願いします。
私の本場での修行中、最もお世話になったギタリストの“Enrique de Melchor(エンリケ・デ・メルチョール)”氏のソレア、です。
エンリケ氏は本名をEnrique Jimenez Ramirez(エンリケ・ヒメネス・ラミーレス)と言い、芸名?として“Enrique de Melchor”と呼ばれていました。
御父上の名前のMelchor de Marchena(メルチョール・デ・マルチェーナ)氏に由来しています。
ブログにも書きましたが、私のフラメンコ人生は、父メルチョールの演奏を、偶然ラジオで聴いたことから始まりました。
後、本場での修行時代に友人たちとマドリードの某ビリヤード場に行った時に、偶然、そこにカマロンとパコ・デ・ルシア、そしてエンリケ氏等がビリヤードをしに来ていました。
私の連れの友人がエンリケ氏と一緒に仕事をしたことがあり、顔見知りということで一行と合流。
その時に私を紹介してくれたことが事の始まりでした。
特にエンリケ氏は外国人である私、それも御父上によってフラメンコを始めたということもあり、とても親切に対応してくれました。
伴奏の練習の時なども、何度も見学させてもらいました。とても勉強になったことは言うまでもありません。
エンリケ氏は巨匠であるメルチョル・デ・マルチェーナ氏の息子として、1950年に生まれました。(ちなみに、私と同い年です。)
12歳の時にマドリードに移住し、マノロ・カラコル所有のタブラオ、ロス・カナステロスでギタリストとしての活動を始めた、とのことです。
その後、アントニオ・マイレナ、エル・レブリハノ氏等を始め、多くの歌い手たちと仕事をしています。
パコ・デ・ルシア氏と一緒にさまざまなツアーを行ったことも知られています。
18歳の時、ヘレスのフラメンコロジー委員長から国民賞を受賞し、ラ・ウニオンからEl Castillete de Oro de La Unión“黄金のカスティージェテ賞”を受賞しています。凄いですね!!
惜しくも2012年、がんで亡くなってしまいました。
心を空にして鑑賞してみてください。
私の最も好きな歌い手さんの一人、Juan Pen~a "El Lebrijano"(ファン・ペーニャ“エル・レブリハーノ”)さんによるティエントス〜タンゴス、です。
伴奏は弟さんのPedro Pen~a(ペドロ・ペーニャ)氏とErique de Melchor(エンリケ・デ・メルチョール)さんです。
フアン・ペーニャ・フェルナンデス(Juan Pen~a Fernandez、1941年〜2016年)さんはフラメンコを歌う家族の環境で生まれました。
また、単にヒターノの歌い手であるだけでなく、フラメンコとスペイン音楽の研究家としても知られています、
実は、子供の頃はフラメンコギターを弾いていて、1950年にラ・パケラ・デ・ヘレスなどの歌手の伴奏を務めたのですが、最終的にはフラメンコ歌手に転向した、ということです。
1964年、最も重要なフラメンコ音楽祭の一つであるマイレーナ・デル・アルコルコンクールで優勝し、その後、フラメンコの最も偉大な声の一人とみなされるようになりました。
1997年にはスペイン文化省から功労金メダルを授与されています。
Jose monge cruz el CAMARON DE LA ISLA(ホセ・モンヘ・クルス“エル・カマロン”)氏とtomatito(トマティート)氏による bulerias(ブレリアス)です。
久々の登場のカマロン氏、いつ聴いてもワクワク・ゾクゾクしますね。
1992年に41歳で亡くなってから、とても虚しい気持ちが抜けきれません。
時々カマロン氏のレコード、CDを聴いていますが、やはり彼以上の歌い手さんはいまだ現れていない気持ちになります。
どんなものでしょうか‥‥!?
Antonio Fernandez Diaz "Fosforito"(アントニオ・フェルナンデス“フォスフォリート”)さんによるタラントです。
度々登場していただいているフォスフォリートさんは1932年コルドバ生まれです。
1956年にコルドバで開催されたカンテ・ホンドの全国大会で知られるようになりました。
その後の活躍は素晴らしいものがありますね。
ギター伴奏は若き日のManuel Silveria(マヌエル・シルベリア)さんです。ちょっと感じがビセンテ・アミーゴ氏に似ていると感じるのは私だけでしょうか‥‥(^-^;!?
お楽しみください。
ギター伴奏は若き日のManuel Silveria(マヌエル・シルベリア)さんです。ちょっと感じがビセンテ・アミーゴ氏に似ていると感じるのは私だけでしょうか‥‥(^-^;!?
お楽しみください。
Jose Menese(ホセ・メネセ)氏によるGarrotin(ガロティン)です。
伴奏はJuan Carmona "Habichuela" (ファン・アビチュエラ)氏とEnrique de Melchor(エンリケ・デ・メルチョール)氏の豪華な伴奏陣?です。
なお、この動画はスペインテレビ(TVE)の1980年の番組の一部、ということです。
ホセ・メネセさんはセビージャで1942年生まれです。
17歳の頃、あのアントニオ・マイレーナ氏に認められたことを契機にプロになった、ということは以前にも紹介しましたね。
理屈抜きに鑑賞してみてください。
FERNANDA Y BERNARDA DE UTRERA(フェルナンダとベルナルダ)姉妹によるカンテ、そしてJUAN MAYA "MAROTE"(ファン・マージャ-マローテ)による伴奏、です。
フラメンコの神髄?の一端を感じさせてくれるウトレーラ姉妹によるカンテです。
ウトレーラ姉妹によるカンテはyoutubeにもたくさんアップされていますが、ギター伴奏がマローテさんということで紹介する次第です。
マローテさんは、主に舞踊伴奏で大活躍されていたギタリストですが、この動画の伴奏も見事です(^^♪
1968年にはアントニオ・ガデス舞踊団と共に来日されて以来、一気に日本でも人気が出ましたね。
1936年グラナダに生まれで、最初の頃は舞踊手だったそうです。そのせいか、踊り手の心?が掴めるはずですね。2002年9月没。
フェルナンダ・ヒメネス・ペーニャは1923年、ベルナルダ・デ・ウトレーラさんは1927年に、セビリア県ウトレーラに生まれました。
姉妹は巨匠のアントニオ・マイレーナ氏の援助を受けて 1957年にプロとしてのキャリアをスタートしたそうです。
カンテ、ギター共に存分に味わってみてください。
Paco de Lucia(パコ・デ・ルシア)氏による“ Callejon del Muro (Minera) カジェホン・デル・ムーロ(ミネーラス)”です。
パコさんの数ある名曲の中でも、私的に最も好きな曲の一つです。
ライブでは後半がファンダンゴスになってしまうことが多く、ミネーラスの味わいが薄れてしまっているように感じるのは私だけなのかな‥‥!?
この動画は、最後までミネーラスなので、とても気に入っています。
理屈抜きに味わってみてください。
Francisco Prieto "El Currito"フランシスコ・プリエト“エル・クリート”さんによるタランタ、です。
度々登場していただいているクリートさん、1984年コルドバ生まれです。
何度か書いていますが、コルドバ出身のフラメンコ・アーティストには素晴らしい技術とセンスを持っている人が多いと感じています。
カンテのフォスフォリート氏もパコ・ペーニャ氏も‥‥コルドバ出身です。
個人的に注目しているギタリストの一人です。
どんなものでしょうか‥‥!?
SANTIAGO LARA(サンティアゴ・ララ)さんによる"Taranta-タランタ" です。
この動画はタイトルにあるように2013年にヘレスで催されたフェスティバルでの演奏のようです。
サンティアゴさんは1984年ヘレス生まれ。
8歳の頃からギターを始めたそうです。
1999年には地元ヘレスのコンクールで優勝し、2001年にはコルドバのフラメンコ・コンクールで“アントニオ・ガデス賞”を受賞したそうです。
あのマノロ・サンルーカル氏の第2ギタリストとして海外公演に参加したことは知っている方も多いと思います。
‥‥ということは以前にも紹介しましたね。
どんなものでしょうか‥‥!?